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週末の金曜日、なんとか仕事を片付けて家にたどり着き、熱いお風呂で冷えた身体をほぐそうと浴室の灯りのスイッチを押した。
バチッと音がして灯りがフラッシュして消えた。 その後はうんともすんとも言わない。 おいおい、熱いお風呂で冷えた身体をほぐそう計画はなし?! でも思い出した。 昔よく灯りを消してキャンドルを点してバスタイムを楽しんだっけ。 洗面所の奥から誇りまみれのキャンドルを見つけ出した。 じゅうぶんイケる。 ああ、キャンドルの炎ってなんでこんなに癒されるんだろう… そして今日は週末のお買い物。 電球電球でん…ワット数調べてくるの忘れた。 今夜もキャンドルバスタイム♪ ああ、癒される。 (明日は必ず電球を!) PR |
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ひさしぶりに実家に帰る。
髪をまとめるゴムを忘れた。 「おかーさーん、ヘアゴムない?」 「えー、ないよ。輪ゴムじゃダメ?」 「うーん、しょうがない」 「あ、ちょっと待って」 待つこと1分少々。 「はい」 渡されたのは白いゴム。平型。 「これパンツのゴムじゃん!!」 「まだパンツのゴムじゃないよ! てゆうか、もうパンツのゴムにはならない」 …うーむ。 母は正しい。 |
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母の日が近づくと思い出すことがある。
私の母は、長い間家で和裁の仕事をして私たち姉妹を育ててくれた。 私たちが幼い頃は、夜なべといって徹夜で着物を仕立て、朝は父と私たちに朝ごはんを食べさせて、送り出してからまた針を持ち、夜は家族を寝かせたあと、またひとり夜なべ仕事をするといったことをよくしていた。 夜中にふと目を覚ますと、そこだけ明かりのついた居間で、黙々と着物を仕立てている母の姿があった。 幼心にその姿は冒しがたく、今思うと、それは仕事に誇りを持つ婦人の姿であった。 母は、生活のためもあったろうが、実際、和裁が好きだったのだと思う。 私が戯れに仕事をしている母のそばで着物のことをあれこれ聞くと、母はいつも気のないそぶりで答えてくれたけれど、なんとなくうれしそうだった。 私たちがスカートやパンツの裾あげやリフォームを頼むと、自分でやりなさいといいながら、いつも望み通りに仕上げてくれた。 家族の誰もが母は死ぬまで和裁を続けるのだろうと思っていた。 しかし、バブルという魔物が母にも襲いかかった。 母は、今もある有名な着物問屋、地元の個人経営の問屋などから仕立て仕事を受けていたが、バブルによって仕事の依頼は激減した。 それでも母の仕立ては評判がよかったらしく、母を指名してくる人もいて、以前ほどではないけれど仕事の依頼はあった。 しばらくはそうやって仕事を続けていたが、長い不況に、ついに有名問屋は地元から撤退し、個人経営の問屋は店を閉め、母は仕事を失った。 和裁を取り上げられた母は、なにか落ち着かない、居心地の悪い他人の家にいるような雰囲気だった。 それに母から仕事を奪った不況は、当然、父の仕事にも影響を与えていた。 やがて母は、近くの工場のパートの募集を見つけてきた。 ある日、母は生まれて初めて買った履歴書を持って、私に書き方を教えてくれと言ってきた。 その頃私は社会人になって何年か経っており、外の世界が楽しくて、家にいると父や母が鬱陶しかった。 履歴書なんか書いたことないからわからないという母に私は、 「そこに記入例があるでしょ。それ見ればわかるじゃない」 とむげに言い放った。 母はしかたなく、付いていた記入例を見ながら履歴書を書き出した。 ときどき、これはどう書くの? などと聞いてきたけれど、私は邪険に答えることしかしなかった。 母は小さくなって、テレビを見ている私の隣で履歴書を書いていた。 今思うと、なんと親不孝なことをしたのだろうと涙が出てくる。 学校を出たあと、和裁の先生の家に住み込みで学び、そのあとずっと家で仕立て仕事をしてきた母には、履歴書を書くなど戸惑うことばかりだろうし、ましてやそのあとには初めての就職面接が控えていたのだ。 母はどんなに不安で心もとなかったことだろう。 誰の助けもなく、50歳を越えた母が初めて挑むには、あまりにもきびしい。 幸い、母はその工場に採用されることになり、そのあと母は毎日楽しそうに仕事に出かけた。 母は、仕事のグチや上司の悪口、同僚のおばさんたちとの仕事の合間のお茶の時間が楽しいなど、いつも私に話した。 それは、初めて外の世界で働いたことが、他人といっしょに働くことが楽しくて仕方がないといった様子だった。 初めてのボーナスはホントに少ない額だったけれど、母はホントにうれしそうだった。 母は、たとえそれがパートであろうと、仕事を持つ誇りと生きがいを感じていたのだろう。 その仕事を定年で辞めなければならない時は、とてもさびしそうだった。 今母は、ボランティアなどしながら老後を楽しく過ごしている。 もしあの時、母が就職できなかったら…、そう思うと私は、その頃の私を殴りつけに行きたくなる。 若くて未熟で、親のありがたみなどまったくわからなかった自分。 母の日が近づくと、その頃の自分勝手な私を思い出して、どうにもやりきれなくなる。 今は、たとえどんな小さなことでも母のために何でもしたいと思う。 未だに迷惑をかけるけれど、ずっとずっと長生きしてもらいたい。 親のありがたみ、というものが少しは私にもわかってきたのかもしれない。 5月から7月にかけては、母の日や父の日とともに両親の誕生日もやってくる。 今年は二人の誕生日用に、先日行った美術館で陶磁を買った。 私にとって初夏は、あらためて親のありがたみと健康を思うシーズンである。 いつまでもそう思えるようにと、願ってやまない。 |
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